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美容室Y,s秦野店の日々

Y,s秦野店のオフショットや見て楽しい 読んで面白い!そんな美容室の裏側をお見せする メイキングBLOGにしていきたいと思います!

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母の日~園児が語るママへの想い~

ところでこの画像を見てくれ。こいつをどう思う?
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すごく・・・大きいです(顔のアップ的な意味合いで)

皆さん、まさかの!まさかの!一ヶ月に2回のウンチクです!
今日は母の日ですね。早速ですが、母の日の由来ですが・・・

1908年5月10日(これが5月の第2日曜日だった)
1905年5月9日に亡くなったミセス・ジャービスさんを追悼しようと、娘のアンナ・ジャービスさんが教会で母の好きだった白いカーネーションを配る。その後も、母に感謝する日を祝日にする普及運動を続ける。
この事から母が健在な場合は赤いカーネーションを、亡くなった場合には白いカーネーションを胸に飾るようになり、それがいつしか母親にカーネーションを贈る習慣になっていったようです。

しかし!!このお話にはそれだけに止まらない涙無くして語れない続きがあるのです。
上記にあったミセスさんと言う方は南北戦争にて南北関係なく負傷した者を治療したり催し物をしたりとしていたそうです。
そのミセスさんが亡くなり娘のアンナさんはそんな母の願である「平和の願い」を込めて5/10の母の日の制定を目指しました。
しかし何事にも政治的・商業的に本来は「平和を祈る」はずの母の日が歪められプレゼントを贈る日に変わっていってしまったのです。

やがてアンナさんは白いカーネーションが高価な値段で売れれているのを見て「貪欲のために母の日を侮辱している」と母の日行事の差し止め裁判を起こすが、は敗訴。その後、母の日の商業化がますます加速していったそうです。
「私は、自分が創ったこの祝日の商業化を自分の手で止めさせることによって、お母さんの恩に報いたかった」とアンナは無念を語っていたそうです。


皆さんも母の日は母親に感謝すると共にこのお話をたまに思い出していただけたら幸いです。

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